「鉄門だより第583号」,平成14年11月10日発行

教育改革と病理学の教育

医学教育の北村教授からのご指名である.最近の教務関係の改革によって,東京大学医学部の病理学教育も大きく変わった.まずその点について,学年ごとに変化を整理してみることから話を始めたい.
病理総論の責任者は分子病理学の宮園教授であるが,われわれも形態学的な部分について若干のお手伝いしている.M1の後半に行われることは従来どおりであるが,時間が2/3に短縮される一方,病理総論として独自の実習も導入されることになっている.また,M2の夏休み前に研究室配属が導入された.フリークウォーターと連続できるようになっている利点があるが,従来の自由な雰囲気が失われた印象も否めない.人体病理には本年度は7名の学生が配属され,2週間の間,組織を用いた研究の一端を見学,実習してもらった.
一方,病理学各論は大きく変わった.従来,実習とともにM2の最初にまとまって行われていたが,一週間に各々1回ずつ,とびとびに行われることになった.病理学各論としてのidentityが薄まるわけであるが,系統講義とうまく歯車が噛み合うと,臓器病理学の実質的な理解につながるのではないかという期待もある.悩みは系統講義との歩調がうまく合わない時で,眼科・口腔外科・耳鼻科の病理など,従来なかった項目を加え,実習についても脳腫瘍,皮膚病理,感染症などを新たに追加している.昨年度からスライド投影を用いた試験を行うことにして, 出題した問題はインターネットで公開することにした(http://pathol.umin.ac.jp).学生諸君は柔軟に試験に対応するようで,さほど大きな不満も聞こえてこない.問題の難易度は5%程度が追試を受けるぐらいなので,まずまずと考えている.
BSLはこれまでM4の段階で行われていたが,本年度からM3に移行することになった.これまではセミナー形式のBSLであったが,私が赴任してからは,剖検症例と,手術的に切除された種々の腫瘍症例について検討してもらい,学生諸君で相互に提示し合う形式にしている.ただ,本年度はM4,M3両方にBSLを行っているので,さすがにoverworkとなっている. これらの授業に本年度からはクリニカル・クラークシップが加わった.M4の4,5月に2回に分けて1ヶ月間ずつ学生が滞在する.本年度は病理学教室として各々4,3名,病院病理部に3名ずつ,総計13名が病理学の実際に濃厚に触れた.
すべての学年において病理学に触れる機会が設けられることになっことは非常によいことであるが,教官の側から整理すると,4,5月のクリニカル・クラークシップ,7月の研究室配属,9-12月のBSL,1-2月の病理総論に,通年的に病理学各論,実習があるということになる.これらに加えて,保健学科,医科学修士課程,博士課程の授業が加わり,教育負担はかなりのものになる.(深山の場合,講義・実習のコマ数24,BSLで毎週6コマ程度を18回,今年は33回という状態である.)

病理学は基礎医学か,臨床医学か.

教育システムの変化について紹介していると,病理学総論を除いた病理学教育は,基礎医学の教育体系には属さず,臨床医学の教育と全く変わらないことが一目瞭然である.病理学,とくに人体病理学は医学教育において臨床医学なのではないか.この疑問は教育の面だけではなく,診療・教育という面でも,よく問いかけられてきた問題である.病理学は基礎医学か,臨床医学なのか.
この問題の淵源をたずねると,19世紀後半の輝かしいドイツ病理学を導入したことに帰着する.当時の病理学は実験医学とセットになった学問であった. Omnis cellula e cellula とウイルヒョウが鋭く看破したことに端を発し,病気の座を顕微鏡という最新の手段で極める実験医学.この華々しい部分が日本においても病理学の顔となった.一方,病理学には,臨床像と肉眼,組織を対比させる地味な営み,モルガーニ,ビシャーといった流れもあり,ウイルヒョウも実はこれも継承しており病理学の体に相当するといってもよいが,その側面は目立つことはなかった.一方,時期を同じくして生検の病理学を外科的治療の指針とする試みがされるようになった.この時の技術的水準は必ずしも高くなく,伝統的病理学は導入に批判的であった.このため当初,生検の病理学は婦人科学,外科学の一部として担われ,外科病理学として発展していった.
このような状態は,19世紀後半にドイツ病理学を受け入れたアメリカで顕著にみられ,伝統的病理学と外科病理学との間に少なからぬ摩擦が生じたという.アメリカの場合,1950年代以降,外科学教室にあった病理のラボが物理的にも,事務的にも病理学に統合されていく過程で,この摩擦は解消に向かった,あるいは向かっているという.
日本において事情はどうであろう.国立大学の中には未だに病理部が設けられていないところもある.1987年に出された「東京大学病理学教室100年の歩み」の中には以下のように書かれている.「病理学の研究および教育については人体病理学と実験病理学をともに推し進めることが望ましい.人体病理学では,病理解剖は主要の業務である.また,生検,手術材料の検索は診療活動の上で欠かすことができない.病理学教室は診療科に準ずる性格を持ち,研究,教育,診療といった3つの柱がある.」

病理学の将来

日本の病理学においては,過去100年来続いてきた実験医学という側面と,当初は軽視されながら次第に比重が増してきた臨床医学の側面の二つを,整理することなく時の流れに任せてきた感が否めない.人体病理学分野教授に深山が,分子病理学分野教授に宮園教授が就任して以来,病理学が果たすべき教育,研究,診療面での役割と,それを支える体制について熟慮を重ねてきた.その結論は,実験病理学の側面は分子病理学が,臨床医学の側面は人体病理学が担っていくべきであるというもので,前者は基礎医学,後者は臨床医学として帰属を明確にし,おのおのにふさわしい体制を作るという方向性である.
臨床医学としての病理学は,それこそ頭のてっぺんから足の爪先に至るまで,各臓器の病理学的変化とその形態学的表れについて習熟し,さらに新たな病態,病気を発見する使命を担っている.「病理医はメスを使わない外科医,聴診器を持たない内科医であって,the last general physicianである.」そして,このような使命の遂行には,臨床各科に匹敵する人数で,主要な臓器をカバーできる臓器病理専門家を擁するユニットを作らなければならない.以上のような主旨で,現在人体病理学分野と病院の病理部を統合し,臨床医学として活躍できるよう,宮園教授とともに教授会に対し提案しており,審議していただいている.
個人的な見解では,現在の提案にも不十分な点が残っている.各方面からのお叱りを恐れず自分の信じるところを述べると,理想的な人体病理学の体制は主任教授と専門の異なる数人の教授が協力して,経験年数の異なる多数の病理医を指導,育成する体制ということになる.しかし,複数教授による大講座制を認めていただけるには,まだまだ多くの議論を重ねる必要があろう.

教育・研究・診療

さて,現在の講座制をもとにした体制は,大学における教育・研究・診療を行うにふさわしい体制であろうか.複数教授による大講座制ということを述べたのは,人体病理学における領域の広さと要求される知識の深さという点で,人体病理学に特異的な体制という文脈の上のことであった.しかし,大学における教育・研究・診療という視点からみると,各々に責任を持つ教授を複数設けるという構想もあり得る.一方,業務の分担を固定するのは非現実的で,実際には一人の人間がある程度担いうるし,その方が柔軟で進取的な体制になるという考えも十分納得できる.  病理学教育から始まって,大学における講座,教授のあり方まで議論が及ぶと,風呂敷を広げすぎた感があり,そろそろ論壇から降りた方がよさそうである.また,この議論は幅広い視点から論ずるべきで,そのためには本郷以外の所から登壇していただく必要があろう(編集者の最初の狙いも,東大内外で活躍されている諸先生を広く登壇させることにあるという).そこで,私の議論の展開を(あるいは幕引きとなるかもしれないが),研究面でお世話になっている先端研の油谷浩幸教授(55年卒)に託し,私の役目を終えたい.

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