大学病院内科での研修中、胸部レ線をはじめ画像診断の重要性を痛感した。しかし、半年間放射線診断部で研修してみたが、今一つ対象に肉薄している実感が持てなかった。専門を決めていないと恰好がつかなくなる研修期間終了時に、ようやく呼吸器で飯を食おうと決めた。深い考えなどあるわけがなく、動機といえば、生前の胸部レ線像と比較するために見た剖検肺割面の特有の模様、その美しさに惹きつけられたことだろう。ともかく、研究を始める前に対象をしっかり見ておくことが大事だと考え、また一方では偶然に身を委せ、都立駒込病院病理科に草鞋を脱ぐことにした。しかし、そこで病院の病理にすっかり浸ってしまった。肺であれ、消化管であれ、剖検例であれ、手術例であれ、みるものすべて面白い。腫瘍や炎症の形態像も一様ではない、そこに何らかの秩序を見つけようと、自分なりに必死で顕微鏡を覗く毎日となった。そして、呼吸器疾患に限らず、内科・外科とのカンファランスを通して、臨床と自分の観察しているものを対比させながら疑問を発掘する喜びを感じてしまい、遂には病理医から足抜けすることができなくなってしまった。

私が病理医となった1980年はじめは、免疫組織化学が盛んに組織切片に応用された時期であり、専門の技師の方と協力して、消化管・肺の内分泌細胞や腫瘍の産生物質の解析を行い、形の背後にある病態を明らかにし、逆にそれを病理診断に応用できないかと研究を試みた。ところが、なかなか自分の道が定まらない。現象の記載に終始しているだけなのではないかという不安と、進歩の著しい分子生物学的研究に魅力を強く感じるようになった。その時、丁度縁があり、呼吸器疾患の臨床的研究で有名な米国NIH、Ronald G Crystal先生の研究室に留学できることになった。ただ、この時も深い考えがなかったためか、日本人には極めて稀なα1-antitrypsin欠乏症、嚢胞性線維症などの呼吸器疾患を対象として、しかも遺伝子治療の実験モデルの開発に携わり悪戦苦闘する羽目になった。留学の一番の成果は、「問題となり、解決の展望が見え始めた疾患」に対し、伝統はなくとも敢然と挑戦していくDr.Crystalの姿勢に感銘を受けたことだと思う。帰国する時、「日本人に多い、あるいは特異的な疾患に挑戦することで、日本の病理医として幾ばくかの貢献をしよう。」と、はじめて「公式文書に載せてもいいような決意」をした。

帰国後、分子病理研究室を駒込病院に設け、胃癌・リンパ腫を対象に研究を開始することにしたが、ヒト癌ウイルスとして再び注目されているEpstein-Barr(EB)ウイルスを取り上げ、日本人に多い結核後膿胸リンパ腫の発生の原因となっていることを発見することができた。関東逓信病院病理診断科・自治医科大学病理を経て、現在東京大学医学系研究科で、基礎的病理学とは異なった人体病理学の可能性を追求し、剖検・診断病理とともに、EBウイルス関連腫瘍(胃癌、リンパ腫)、肺癌の3つのグループで研究を行っている。