「逓信医学」より

肺腺癌の病理の最近のトピックスについて,まず、二人の病理医の業績を紹介したいと思います。Biopsy Interpretation of the Lung(Raven Press、New York、1993)という肺生検の教科書がありますが、「二人」といいますのは、その教科書の共著者国立がんセンター下里先生とカナダのミラー(Roberta Miller)先生です。お二人は直接の面識はなかったそうですが、語り口の簡潔さには共通したものがあり、本の一つの特徴になっています。さて、今年3月にカナダのトロントでInternational Academy for the Study of Lung Cancer (IASLC)の病理部門の会議があり、幸いにも下里先生に随行させていただく機会がありました。カナダのバンクーバーにはミラー先生がおられるため、トロントの前にバンクーバーに立ち寄りミラー先生に面会しようと計画、約束をとったのですが、出発直前に先生の急死を知らせるファックスを受け取りました。まだ40歳程であったということですから、肺病理学にとって大きな損失です。後一歩というところでお会いする機会を永久に失うことになり大変残念で、小雨の降る中、広い大学の敷地内にあるバンクーバーGeneral Hospitalを未練がましく見てまいりました。

ミラー先生の提唱した肺腺腫

肺扁平上皮癌は中枢側気管支に発生し、喫煙が深く関わっていることは、よく知られています。扁平上皮化生・異型上皮を経て癌に至る筋道が想定されますが、肺腺癌における先行病変についてはよくわかっていません。 さて、肺癌切除例を丹念に検索していると細気管支・肺胞上皮細胞から構成されている小さな病巣がみつかります。細気管支を中心に分布しているrespiratory bronchiolitisとは異なり、肺胞領域に異型上皮がひろがっています。ミラー先生は、こうした5mm以下の微小病変をみつけるため、肺を通常のホルマリンではなくブアン固定をし、247例全例を自ら観察したわけです。そうすると、肺癌切除肺の1割程度に微小病変がある。そして構成細胞が、癌とは呼べないが種々の程度の異型性を示していたことから、これらの病変を大腸腺腫に相当する末梢肺の増殖性病変であろうと推定、肺腺腫と呼ぶことを提唱したのです。このような病変を体系的に調べた初めての仕事であり、最もはっきりと問題の性格を捉えた提唱であったと思います(1,2)。
では、「肺腺腫」は本当に増殖性病変・腺腫で、しかも肺腺癌の先行病変といえる病変でしょうか。また、切除肺に肺腺腫がみつかる人は、切除されていない肺にも肺腺腫があるのでしょうか、そして、肺腺腫のない人よりも多発癌をおこしやすいのでしょうか。さらに、肺腺腫多発者には遺伝的背景があるのでしょうか。こうした疑問はまだ明らかになっていませんが、概念のもつ魅力の一つは創造性にいかにつながるかといった点にあります。彼女の提唱が想像力をかきたてるものであったことは間違いないと思います。
また、一言付記しておきたいのですが、ミラー先生の多くの仕事はCTと病理との対比を中心とした放射線科医との共同の仕事で、そうした仕事を通して肺全体の背景病変という視点が彼女に出来てきたのではないかと想像されます。ミラー先生には、Diffuse lung disease, team approachという共著があることも紹介しておきたいと思います。

下里先生と肺腺癌瘢痕・細胞亜型

私は無精者であまり学会に出ないのですが、コペンハーゲンで開かれた肺癌国際会議に出席したことがあります。もう15年ぐらい前になりますが、学会の前に先だって下里先生が肺癌の病理の講義をされました。その時、先生が「肺腺癌の瘢痕が癌の進展により形成されるものであって、瘢痕から発生するものではない。」と明確に述べられていたことが記憶に鮮明に残っています。当時、下里先生は肺腺癌の瘢痕の膠原線維の出方によってgradeをつけられ、硝子化膠原線維が出現するような例は予後が悪いこと、瘢痕のほとんどみられない小型癌が存在すること等から瘢痕癌の概念を否定されました(3)。では瘢痕はどのように出現するのでしょうか。それは癌の進展に影響を与えるものでしょうか。実際、瘢痕部で高分化癌の細胞異型度は高くなり、浸潤癌になるようにもみえます。想像を逞しくすると、癌のin situの進展により肺の虚脱・線維化がおこり、間質に囲まれた癌細胞集団に、その環境に適応するための遺伝子変化がおこりやすくなる。瘢痕の形成が浸潤癌を誘導しているのではないか、といった考えも浮かんできます。その後肺腺癌の瘢痕部の膠原線維の型を調べた人がいて、肺尖部の肺虚脱部のものとは異なっているという成績をだして、肺腺癌の瘢痕は癌のdesmoplasticな反応だと結論していました(4)が、肺腺癌の瘢痕形成にはもっと意義があるのではないかと思います。
次に肺腺癌の組織形態が多彩であることに触れておかなければなりません。肺腺癌細胞型ということを提唱したのは1970年後半頃東京都老人研にいた木村先生ですが(5)、下里先生たちも、その分類を支持し検討されました。発想の基本は、肺腺癌といっても太い気管支由来のものと、細気管支・肺胞領域のものに大きな違いがあるのではないかといった点ではないかと思いますが(6)、気管支上皮・気管支腺・杯細胞型およびクララ・肺胞上皮細胞型に分けられています。とくに杯細胞、mucus producingの型は特殊な振る舞いをすること(7)、ほぼ全例にk-ras遺伝子の点突然変異がみられるため、通常の腺癌と同一には扱えないと考えられます。クララ細胞・肺胞上皮細胞型が肺末梢領域の腺癌に相当し、先に述べた瘢痕形成のみられる癌の大部分は部分的にせよクララ細胞・肺胞上皮細胞型の像を示しています。しかし、とくに瘢痕部では他の細胞型をとったり、いくつかの細胞型が混在している例もあります。細胞型分類は、太い気管支由来の特殊型を独立させるという点で有意義であったのですが、比較的staticな正常成人の気管支、肺構成細胞をモデルとするよりは胎児にみられる肺形成過程の細胞をモデルとして分類を考えたほうがよいのかもしれません(8)。
さて、最近、下里先生のグループは小型腺癌の予後因子の分析などから、「肺末梢領域の癌で瘢痕や脈管侵襲のない場合は完全に治癒可能な癌である。」と結論されています(9,10)。こうなると、肺腺癌の中で肺末梢領域に発生する癌では、non-invasiveあるいはin situ carcinomaといった癌を診断できるのではないかといった地点に到達するわけで、そのような癌の先行病変として、先の肺腺腫という概念と出逢うことになります。肺腺腫については下里先生達のグループもatypical adenomatous hyperplasiaという名称で、ミラー先生とほぼ同時期に検討を開始しておられますが(11,12)、実はこの肺腺腫という重要なテーマが、Biopsy Interpretation of the lungの二人の共著者の、おそらく唯一の学問上の接点であったと思います。

肺腺癌・肺腺腫の問題

肺腺腫・肺腺癌の問題は、腺癌の発生を考える上で重要な問題ですが、単にアカデミックな問題にとどまらないことを強調したいと思います。我々の病院においても、末梢型の肺腺腫様病変・肺腺癌多発例が2例ありました。1例では肺腺癌3病変は切除されましたが、CT上まだ対側肺に微小病変を残し5年以上経過観察されています(図1)。対側の病変の大きさにはほとんど変化がありません。他の1例は腺癌1病変、腺腫様病変3病巣が生検され、1年半CT上変化のない症例です(図2)。肺腺癌の場合,肺内に転移することがあり、この様な場合は遠隔転移と同一ですから、実際予後も非常に悪い(7)。一方CTで経過を観察した限り肺腺腫の進行はきわめて緩徐です。このため末梢肺に多発性の病変があった場合、両者を区別することは治療上きわめて重要になります。また、今後helical CTなどで、肺野の微小病変が、これまで以上に発見され、胸腔鏡下に生検されてくる機会も増加することが予想されます。
最後に、肺腺癌の発生について解決されなければならない疑問を挙げておきたいと思います。かりに肺腺腫という概念を認めるとして,肺腺腫・多段階発癌という過程を経て発生する癌は肺腺癌の中でどのぐらいの割合を占めているのでしょうか。また、上皮内癌からinvasiveな癌になる場合に瘢痕形成がどのような役割を果たしているのでしょうか。末梢型肺腺癌の病理を理解するには,これらの過程の細胞生物学的・分子生物学的過程が明らかにされなければならないし、そのための形態学的枠組みをきちんと整理しておかなければなりません。また、クララ・肺胞上皮細胞型以外の細胞型の癌でも同じ様な先行病変はあるのでしょうか。肺線維症では肺癌が高率に発生しますが、末梢型の扁平上皮癌の率が高く、腺癌でも気管支上皮型あるいは低分化型のものがほとんどです。肺線維症の末梢肺にみられる腺様化生・扁平上皮化生巣に類似した病巣が、肺線維症のない肺にもおこっている可能性を想定したくなりますが、詳細な検討はないようです。
肺腺癌をめぐる疑問は今後も下里先生を中心とした国立がんセンター病理を先頭に解決されていくと確信していますが、我々のような「病院の病理」を仕事にしている者も、故ミラー先生のように、実際の症例の追跡調査、切除肺・剖検肺の詳細な検索を通して、疑問の解決に寄与していくことができるのではないか、少なくともそうした努力をしていきたいと思っています。

文献

1. Miller RR et al.  Glandular neoplasia of the lung. A proposed analogy to colonic tumors. Cancer 61:1009-1014, 1988
2. Miller RR: Bronchioloalveolar cell adenomas. Am J Surg Pathol 14:904-912, 1990
3. Shimosato Y et al.  Prognostic implication of fibrotic focus (scar) in small peripheral lung cancers. Am J Surg Pathol 4:365-373, 1980
4. El-Torky M, Giltman LI, Dabbous M  Collagens in scar carcinoma of the lung. Am J Pathol 121:322-326, 1985
5. Kimula Y  A histological and ultrastructural study of adenocarcinoma of the lung. Am J Surg Pathol 2:253-264, 1978
6. Shimosato Y, Kodama T, Kameya T: Morphogenesis of peripheral type adenocarcinoma of the lung.(Shimosato Y, Melamed MR, Nettesheim P  Morphogenesis of lung cancer), 65-89, CRC Press ,Boca Raton, 1982
7. Clayton F  Bronchioloalveolar carcinomas. Cell type, pattern of growth, and prognostic correlates. Cancer 57:1555-1564, 1986
8. Fukayama M et al.  Brain-associated small-cell lung cancer antigen (BASCA) is expressed in developing lung: An immunohistochemical and immunoelectron microscopic study. J Histochem Cytochem 38:51-57, 1990
9. Kurokawa T  et al.  Surgically curable “early” adenocarcinoma in the periphery of the lung. Am J Surg Pathol 18:431-438, 1994
10. Noguchi M et al.  Small adenocarcinoma of the lung. Histologic characteristics and prognosis. Cancer 75:2844-2852, 1995
11. Kodama T et al.  Morphometric study of adenocarcinomas and hyperplastic epithelial lesions in the peripheral lung. Am J Clin Pathol 85:146-151, 1986
12. Nakayama H et al.  Clonal growth of atypical adenomatous hyperplasia of the lung: cytofluorometric analysis of nuclear DNA content. Mod Pathol 3:314-320, 1990
なお、肺癌の病理に興味を持たれた方は、1996年1、2月に「病理と臨床」に肺腫瘍の病理の特集号I、IIがでますので是非参照して下さい。

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